アメリカ史上で唯一、任期途中で辞職した大統領リチャード・ニクソン。彼の名前を歴史に刻んだウォーターゲート事件は、決して公にしてはいけない国家の闇を、アメリカ市民が垣間見た出来事でした。共和党の大統領候補者が、決選の日まで僅か5か月という時期に、なぜ、民主党本部を盗聴しようなどと考えたのか? 今回はその全容と、さらに深い闇の存在を語ります。
事件は1972年6月17日午前2時少し過ぎ、ワシントンDCのウォーターゲートビル6階にある民主党本部で、5人の男性が不法侵入により逮捕された事から始まります。当初は単なる窃盗犯と思われた5人の中に、ニクソン大統領の再選をめざす「大統領再選委員会」の関係者が含まれていたのです。これを19日朝、ワシントン・ポスト紙が一面トップで報じました。ホワイトハウスは事件の関与を完全否定するものの、ポスト紙はその後も、大統領を含む政府高官の関与、証拠隠滅、捜査妨害などを示唆する記事を次々と掲載。民主党本部に侵入した5人と、大統領再選委員会のふたりを合わせた7人が、盗聴など8つの罪で告発されました。彼らは、「ウォーターゲート・セブン」と呼ばれたそうですよ。連邦高裁は、盗聴テープの提出をホワイトハウスに要求。しかしニクソン大統領はそれを拒否し、さらに大統領権限により、特別検察官の解雇やウォーターゲート特別連邦検察局の廃止などを行うと公表しました。もみ消し工作としか受け取れないこの行動が、ニクソン大統領を孤立無援の状態に追い込んだのです。1974年8月8日、彼はテレビカメラに向かい、大統領職の辞任を発表しました。
リチャード・ニクソン氏は、大統領になる前までの政治活動の中で何度も敗戦を経験し、選挙に対する不安と政界への猜疑心が非常に強かったと言います。そのため、ニクソン陣営の諜報活動は選挙対策だけではなく、ほぼ日常的におこなわれていたようです。民主党本部の盗聴は、単にその「日常活動」のひとつだったのです。選挙資金で私立探偵まで雇っていたそうです。「相手が何を考え、どう動くのか知りたい」。これが、ウォーターゲート事件の表向きの動機と言えるでしょう。実はこの事件には、さらに深い闇の存在を示唆する事実があります。歴史研究家たちが、「静かなるクーデター」と呼ぶ軍部の動きです。
ニクソン氏は大統領就任後、ベトナム戦争の休戦を推進したり、ソ連や中国を訪問して冷戦時代の緊張の緩和を推し進めました。こうした動きを、軍部は当然よく思いません。ウォーターゲート事件がホワイトハウスを震撼させるまでに至ったそのキッカケは、ワシントン・ポスト紙の「特ダネ」であり、その記事を書いた人物こそ、国防省に勤めていた元軍人だったのです。また、ホワイトハウスで彼の報告を受けていた大統領補佐官も陸軍大佐でした。つまり、軍の上層部にいた人物たちが、組織の指示で大統領失脚を図った…という説です。ただしこれは、現在でも仮説でしかないのです。
アメリカ市民が垣間見た巨大な闇、「ウォーターゲート事件」。もしかしたらそこには、国家の闇よりさらに深い軍部の闇が潜んでいたかもしれません。