2014年5月3日土曜日

危険な都市伝説「キーホルダーのプレゼント」


テキサス州ハリス群に住む男性Nさんは、ジャズが大好きでした。自宅はもちろん、ドライブでも最高の音質を楽しみたいと、とても高性能なカーオーディオを装備していました。ただし車は中古で、しかも10年以上乗り続ける古い車種です。ある休日の朝、お気に入りの曲でドライブを楽しもうと車に乗り込んだところで、彼は信じられない光景を目にします。車内からオーディオと自慢のスピーカーが消えていたのです。慌てて警察に通報。

「こんな古い車が高級オーディオ・システムを装備しているなんて、外から見ただけでは分からないと思うんですけど…」。

すると警官は、Nさんにこう尋ねます。

「もしかして、ガソリンスタンドか大型店の駐車場でキーホルダーを貰いませんでしたか?」

Nさんには心当たりがありました。警官の説明によると、そのキーホルダーにはGPS機能が付いており、それを彼にプレゼントした男性は車の部品を「調達」する犯罪組織の人間だとか。Nさんは男性にオーディオ・システムの自慢話までしてしまい、しかも貰ったキーホルダーはお洒落なデザインで作りも良く、高級感満載でした。

「GPSであなたの車はフォローされていたのです。オーディオだけで幸運でしたよ。キーホルダーを受け取った人の中には、家に入られ命まで取られた人もいるのですから」

警官の言葉に、Nさんは思わず身震いしました。

 
2008年からアメリカ国内で流布し始めた、比較的新しい都市伝説です。実はこの年、大手のガソリンスタンドチェーン店が、給油した人にキーホルダーをプレゼントするキャンペーンをおこないました。最初は好評でしたが、長続きしなかった原因はこの都市伝説だと言われております。もちろん、あくまで都市伝説であり、実際に上記のような事件が起きた記録はありません。ただ、会社は公式サイトで懸命に否定するも「余計に怪しい」と思われ、さらに犯罪組織との関係まで疑われたそうですよ。

 
一度ウワサのラインに乗り拡散し始めたら、もう誰にも止められない…これが、都市伝説の凄さですね。

2014年4月27日日曜日

恐るべき電子スパイ「エシュロン」


これは、あくまで都市伝説です。ただ、妙な現実感を含み語られるのもまた事実で、このお話を信じるか、一笑に伏すかはあなた次第です。

 
現代の諜報活動は二種類に分かれます。そのひとつが「ヒューマミント」と呼ばれる人間を動かすスパイ行為で、まさに映画の「007シリーズ」の活動です。もうひとつが、今回語る「シギント」。世界中の無線通信や暗号化された外交通信の傍受、さらにインターネットなどのネットワークに侵入して情報を得る、科学装備を利用したスパイ活動です。

アメリカの国防総省には、シギントを実行するNSAと呼ばれる組織があり、これはFBIやCIAとは別組織の国家安全保障機関です。文字通り、電子スパイの総本山。本部はメリーランド州にあり、職員は4万人とも10万人とも言われる巨大組織なのです。このNSAが主導する地球規模の通信情報傍受システムこそ、恐るべきネットワーク「エシュロン」です。

 
エシュロンによる傍受は、電話、電子メール、ネットからのダウンロード、そして衛生通信など、世界中のあらゆる通信に対し無差別におこなわれているそうです。また、地球規模で通信ネットワークを監視するため、その傍受基地が世界の各地に設置されているとか。もちろん、国民に対するこうした行為は明らかに違法です。当然、アメリカ政府はエシュロンを認めませんが、その存在を確信する人々もまた少なくないのです。

例えばあの大惨事、9・11事件。発生後まもなく、政府が犯人グループの動きを事前に察知していたというニュースが報じられました。これこそ、エシュロンによる通信傍受の結果です。また2001年5月、北朝鮮の当時の最高指導者の長男が成田空港に到着してすぐ拘束された事件も、エシュロンが傍受した情報が事前に日本政府に提供されていたと思われるのです。

 
闇の巨大組織NSA、そして謎の巨大ネットワークシステム「エシュロン」。目に見えないスパイ活動は、今、わたしたちの周辺で展開しているのでしょうか? 気軽に送るメール、便利に使うナビゲーション…それらが常に、何者かによって監視されているかもしれないのです。

では、最後にもう一度。このお話は、あくまで都市伝説です。信じるか一笑に伏すかはあなた次第です。

2014年4月17日木曜日

彼は何を見たのか? その光景の謎と真実


「太陽は天から消え、不気味な暗闇がこの世を覆っていった」。これは、古代ギリシャの詩人ホメロスが紀元前8世紀ごろに書いた「オデュッセイア」に登場する描写です。英雄オデュッセウスが、トロイヤから祖国ギリシャへ戻るまでの10年間を語った大叙事詩で、ホメロスの作品では「イーリアス」と並ぶ傑作と言われています。その中で、オデュッセウスが見たと記された冒頭の現象。歴史家や古典学者の間ではある時期まで、これは皆既日食だったという説が定着していました。古文書の記録により、紀元前に皆既日食が起きたのは1178年4月16日の一度だけだったことが立証されていたからです。これが、オデュッセイアの物語の時代と重なっているのです。

また西暦2008年6月には、アメリカの大学教授が「オデュッセイア」に記された天文学的な記述を詳しく調べた研究論文を公開しています。それによれば、目撃記述の前に皆既日食が起こる必須条件である新月が出ていなかったことや、金星が明るく輝いていたことなど、4つの条件がそろっていました。

ただ作者のホメロスは、この描写が出現した時代よりかなり後世の人物です。実際の皆既日食を見たことのない者が、それを描けるはずはないという説を提唱する学者もいるのです。しかし、何も起きなければ「太陽が消える」という描写は登場しなかったでしょう。オデュッセウスは何を見たのか…謎の解明は現在も続いているそうです。

 
さてもうひとつは、「ほぼ真実」を語れるお話です。旧約聖書「エゼキエル書」の第一章に登場する描写「北の方角から激しい風と巨大な雲が湧き出て、その周囲は眩しく輝き、炎を吹き出し、その中に琥珀金のように輝くものがあった」です。予言者エゼキエルが見たモノは、まさに地球外から飛来したUFO。NASAの元研究員が、こうした記述からUFOの復元設計図まで作成しています。この真実は極めて明快。古典学をまったく知らない、UFOマニアたちのいわば都市伝説です。彼らはエゼキエル本人がその光景を目撃したと思い込んでいるようですが、「エゼキエル書」は後世に多くの人間の手で書き加えられているのです。あること、ないこと、様々なエピソードが追加されていき、原本がどうだったのか現在では調べようがなく、実際にエゼキエルが何かを見たとしても、異星人の宇宙船という説はかなり無理があるようです。

また、この描写に登場する「琥珀金」がヘブライ語で「エレクトロン」と言うことから、「古代人は電気を使っていた」というお話がありますが、これも都市伝説。電気=エレクトロンは、静電気が発見された近代以後に使われるようになった言葉なのです。

 
様々な古い文献に登場する様々な記述は、純粋な学問の研究対象になったり都市伝説の元ネタになったりします。これはまさに、人間の探究心の深さ豊かさではないかと、わたしは思います。

2014年4月14日月曜日

探せば出逢える幽霊


そんな幽霊いるの? とお考えでしょうか。ヘンリー・アドルフ、イゴール・ゴーゴリ…これは、人々の粘り強い探索により発見された幽霊たちの名前です。ほかにも大勢いる(かもしれない)彼らを「幽霊指揮者」といい、クラシック・ファンの間で語り継がれる都市伝説です。

幽霊といっても、亡くなった人の霊がステージに現れるというお話ではありません。世の中に実在しない指揮者の名前が記されたクラシックCDがあり、この実在しない指揮者を「幽霊指揮者」と呼ぶのです。冒頭のふたり、いかにもそれっぽい名前だと思いませんか?

 
この都市伝説の元ネタは1996年末、香港のある音楽レーベルのホームページに載った記事です。指揮者でプロデューサーでもあるアルフレッド・ショルツという人物が、オーストラリア放送の放送録音を大量に買い、これに架空の指揮者やオーケストラの名前をつけたそうです。つまり、CD用にレコーディングしたものではなく、テレビやラジオの放送用に録音した音源をCD化し適当なクレジットを入れて売ったという、衝撃的な記事でした。ショルツ氏は独自のレーベルを設立し、この音源を使ったCDを大量に市場へ出したようです。日本でも、書店や露店などで見掛ける1枚1000円程度の格安CDの中に、こうした幽霊指揮者の名前が記載された物があるそうです。

 
ショルツ氏の記事がサイトに載った期間は1週間ほどと短く、今では事実関係を確認することができません。さらに、サイトを見たクラシック・ファンの様々な「見解」が流布したことで完全に都市伝説化しました。しかも、実際にその楽曲を指揮しているのはかなり有名な指揮者であっても、実在しない幽霊指揮者の名前になっていたりして、これがクラシック・ファンの興味を惹きました。現在では、大量に出回る格安CDの中から、ショルツ氏のレーベルを探す「幽霊指揮者探索」が楽しみな人もいるそうですよ。

2014年4月8日火曜日

闇の仕事人だった?「石川五右衛門の実像」


安土桃山時代、大盗賊の名を天下に轟かせたと言われる石川五右衛門。壮絶な最期が広く知られる一方、出生はもちろん本名や人生はまったく不明の、謎に包まれた人物です。処刑されたときが36歳ともいわれ、これが正しければ西暦1558年生まれですが、資料・文献で確認することはできません。伊賀の忍者、浜松の武士、あるいは丹後国の領主の家臣と様々に語られる身分は、江戸時代に生まれた伝説だといわれます。

ただし架空の人物ではなく、実在したのは確かです。「釜ゆで」の刑に処せられた記述が、この時代の文献の幾つかに記されているからです。例えば、公家の山科言経(やましなときつね)の日記「言経卿記」の、1594年8月24日の記述。「盗人10人、子一人等、釜にて煮らる」と記されていますが、ここには五右衛門の名前は登場しません。しかし、同じ時代に日本で活動していたスペイン人の宣教師が記した「日本王国記」では、処刑された人物の名前「Ixicava goyemon(イシカワ ゴエモン)」が現在でも確認できます。日本王国記はさらに、五右衛門の妻子や両親、5親等までの親族が処刑されたと記しています。釜ゆでという惨忍極まる処刑、そして親族に至るまでの徹底的な「抹殺」。一介の盗人にしては、五右衛門の刑罰の重さは見せしめのレベルをはるかに超えている…と考えられないでしょうか。

 
実に興味深い説があります。石川五右衛門は、依頼を請けてターゲットを闇に葬る暗殺者集団のリーダーだったという説です。つまり、闇の仕事人の元締めですね。その一世一代の大仕事が、時の権力者・豊臣秀吉の暗殺だったのです。この説の元になったのが、1802年に刊行された「絵本太閤記」でした。

「関白秀次の家臣・木村常陸介(きむらひたちのすけ)から、太閤秀吉の暗殺依頼を請ける。五右衛門は伏見城に潜入し、丑三つどきに秀吉の部屋に忍び込むが気付かれ、駆け付けた侍従たちに取り押さえられた」

秀吉の甥・秀次には、叔父を暗殺する動機が充分にありました。関白の位を譲ってもらい、やがては後継者になるはずが秀頼の誕生により完璧な疎遠状態となり、その地位から一気に転げ落ちたのです。そこで、最も優秀な仕事人に仕事を依頼したというワケです。

 
もちろん、これは仮説です。ただ、江戸時代の歌舞伎や浄瑠璃が作り上げた大盗賊とか義賊という姿より、石川五右衛門の実像にかなり近い仮説だと主張する歴史家が少なくありません。はたして彼は、闇の仕事人だったのでしょうか。五右衛門のお墓は、京都の大雲院(だいうんいん)というお寺にあります。刑場へ向かう途中、このお寺の住職の仏法を聞いた縁でここに葬られたそうですよ。

2014年3月23日日曜日

超人・聖徳太子伝説


日本の律令国家の確立に尽力し、仏教興隆に貢献したとされる聖徳太子。しかし現在は、この名前の人物が実際に存在していたのかを疑う歴史家も少なくありません。今回語るのはそうしたお話ではなく、伝説として後世に語り継がれてきた、聖徳太子の超常的な影響力です。

 
伝説が形成され始めたのは、7世紀後半ごろから。そして、奈良時代初期の西暦720年に成立した「日本書紀」に、聖人として登場するのが最も古い記述です。そのころから伝説化が加速し、日本の仏教の創設者としての「太子信仰」が生まれ、同時に超人性が語られるようになりました。

聖徳太子の超人的な伝説の中でも、とくに興味深いのが「転生伝説」と「予言者伝説」です。まず前者は、太子が政治家や宗教家、学者などに転生したと語られる伝説。平安京を造営した桓武天皇(かんむてんのう)、平安朝の最盛期を築いた藤原道長、真言宗の開祖・空海などが聖徳太子の生まれ変わりとされました。

 
聖徳太子の超人伝説で、後世に最も影響したのが「予言者伝説」です。その発端は、「日本書紀」に記された一文「兼ねて未然に知ろ示す」で、中世期にはその予言書というべき「未来記」が多数登場します。それによれば、太子は未来の予言を石に記して地中に埋めたとされ、とくによく知られる伝説が、鎌倉幕府の滅亡に関する予言です。

「人王(じんおう)95代にあたり、天下ひとたび荒れる。日、西天に没すること370日余り、西鳥(せいちょう)来たりて東魚(とうぎょ)を食す」。

95代人王とは後醍醐天皇のことで、彼はまさに、天皇政権樹立を目指し挙兵します。西天に没するとは彼の隠岐の島流しで、370日余り、つまり約1年後には、西の勢力・新田義貞の「西鳥」が鎌倉幕府「東魚」を倒しました。この鎌倉幕府の事実上の崩壊が、西暦1333年5月。それより600年以上も昔の予言が、見事に的中したことになります。

 
こうした聖徳太子の超人伝説は、キリストのそれに重なる部分が多いと指摘する専門家もいます。「日本書紀」が編纂されたころ、中国を経由して景教とよばれたネストリウス派キリスト教の文献が日本に伝わっており、宗教的に肩を並べたいと願う当時の日本人の思惑が、聖徳太子伝説を生み出したという説もあるのです。

2014年3月12日水曜日

京都・池田屋事件の真相


池田屋事件、そして新撰組。日本人でこのふたつの言葉を知らない人は、そう多くないでしょう。300年近く続いた安泰の世の終焉が迫る時代、様々な政治勢力が激しく動く京都で発生した、日本の歴史に刻まれる大事件とその主人公たちを今回は語ります。小説・映画・テレビなどのエンターテイメントとは違う、池田屋事件の真相と実態です。

 
まず、当時の京都の政治情勢を知るうえで外せないのが、1863年8月18日に起きた「文久の政変」です。これは会津藩と薩摩藩が連合し、朝廷から長州藩を一掃したクーデターで、その後、長州藩を中心とした尊王派は、いわば「テロリスト」の烙印を押されてしまったワケです。そして、彼らは市内各所に潜伏し、復権の機会を模索していました。

翌年の1864年6月5日。京都市内の治安維持にあたっていた新撰組は、長州藩・尊王派のリーダー格の人物の潜伏先を突き止めました。早朝に踏み込んだとき、その人物は取り逃がしましたが彼を匿っていた家の主を逮捕。薪や炭を商う商人に身を隠した長州藩・浪士、古高俊太郎(こだかしゅんたろう)です。

新撰組・局長の近藤勇は、想像を絶する「厳しい取調べ」の末、長州藩が画策している恐るべき計画を知りました。

それは、「6月20日前後の風の強い日、御所に火を放ち天皇を長州へ連れ去る」というものでした。さらに、「5日の夜、藩の主立った者たちが市内で会合を開く」というのです。まさに、当日の夜です。古高が会合の場所を知らなかったため、近藤は残された時間で京都市内各所を捜索しなければならない、という焦りに駆られました。

 
近藤は会津藩に応援を要請。しかし、集合の場所と時間に応援隊が現れなかったことで、新撰組だけの捜索に踏み切りました。34人の新撰組隊士を近藤隊と土方隊のふたつに分け、鴨川の東側と西側の旅館や飲食店を一軒ずつ調べて行ったのです。夜10時少し過ぎ、沖田総司や藤堂平助など新撰組の剣客を揃えた近藤隊は、三条小橋の池田屋・正面口に入ります。

「宿改めである」という近藤の言葉に、慌てて二階へ駆け上がる主人を追いかけ踏み込んだその部屋には、30名の長州藩浪士たち。映画やテレビでは、ここからが「見せ場」ですね。時代劇の醍醐味の場面が展開するワケですが、実際の出来事は少々違っていたようです。

鬼の形相の近藤が真っ先に踏み込んだとき、30人の浪士のうち約半分は窓から外へ飛び出し、下の地面へ飛び降りたり屋根を伝ったりして逃走しました。

池田屋で亡くなった長州藩の浪士は、室内では勇猛果敢に近藤に斬りかかった宮部縣蔵(みやべていぞう)ほか4名。裏口から逃げようとした3名の計7人だけでした。映画などに描かれる派手な立ち回りは、ほとんどなかった…というのが、現在の歴史家たちの見解です。そして、市内に散った残りの浪士たちを取り押さえたのは、新撰組ではなく会津藩の応援隊と町奉行でした。

 
さて、長州藩の浪士たちが池田屋に集まっていた本当の目的は、「恐るべき計画」の打ち合わせではなかった、という説が現在では有力です。文久の政変により朝廷から追われた長州藩が、復権を願って動いていたのは事実です。しかしそれは、「御所に火を放つ」ような過激な行動ではなく、朝廷工作を中心とした穏健なものであり、そのパイプ役が新撰組に逮捕された古高俊太郎だったのです。ただ藩内には、過激な意見も含め様々な思惑があり、それらを調整するための意見交換会が池田屋の会合だったようです。

興味深いのは、この会合に遅れたことで命拾いしたとされる桂小五郎の動きです。彼は長州藩京都留守居役という、幕府や諸藩との交流が仕事のいわば外交官でした。会合の当日、桂はまだ陽も沈まない時刻に池田屋に来ました。当然、浪士のほとんどは集まっていません。「外で時間を潰して来る」と言い近所の友人宅へ行き、そこで話し込み会合のことを忘れてしまったというのです。

ただ実際は、仕事の立場上で会合の危険性を察知していた桂が、面目で顔を見せただけで池田屋に戻る気はなかった、という説もあります。

 
この池田屋事件で、新撰組の名前はたちまち幕末の世に知れ渡っていきました。以後、200人以上を擁する巨大組織となり、1867年には幕臣に取りたてられ、ある歴史家は日本の歴史上もっとも恐れられた警察部隊になったと言います。しかし一方で、結成当時の純粋な理念は消え、単なる人斬り集団になってしまったという見方もあるようです。

実は歴史家の中には、池田屋事件は幕府の陰謀だったという説を主張する人もいます。長州藩の「御所に火を放つ」という計画の物的証拠が何も残ってない事と、浪士たちが池田屋に集まった真の目的が解明されなかった事などが、その主張の根拠です。

もしかしたら、新撰組も長州藩も巨大な「影の力」に操られていたかもしれません。

2014年2月15日土曜日

恐るべき陰謀都市伝説「プロジェクト・メデューサ」


誰にでも聞こえるはずの音や声が自分にしか聞こえなかったら、「気のせいかな」と思いそのままにしておくでしょう。それが、特定の者たちが自分だけに向けて発した「意図的な声」であり、やがて自分の意識すら変えてしまうことなど知る由もありません。これは、実に恐ろしいです。

 
あの9・11事件に関しては多くの都市伝説が語られていますが、その中に当時、アメリカ国防省が中東に向け音波を発し、人々の精神に働きかける実験をしていた、というお話があります。元ネタになったのは2008年7月、アメリカのある情報サイトに載った記事でした。

「アメリカ軍が、人間の脳内で音を響かせる超音波装置の開発を計画している」。

この開発計画は、英語の頭文字で「プロジェクト・メデューサ」と呼ばれたそうです。特定の人に向け発した超音波が脳内で声に変わり、本人の頭の中で声として響かせるという装置。周りの者には誰ひとり聞こえないそれは、本人にすればまさに「神さまの声」でしょう。他人の意図により、ひとりの人間の意識がコントロールされてしまうという、恐るべきプロジェクトです。

 
しかし、超音波が人間の頭がい骨に強い負担をかけることが判明し、人道的な見地からこのプロジェクトは中止されたといいます。ところが2012年2月、情報サイトはこのプロジェクトが再び動き始めるかもしれないという記事を掲載しました。

「相手の知覚をコントロールし、行動を混乱させ遅らせ、誤らせるためのテクノロジーの開発を始めた」。

中止したはずのプロジェクト・メデューサを、さらに進化させようとするこれは真実か、単なる都市伝説か…。極秘というヴェールが開かれない限り、わたしたちがそれを知ることはできないのです。

2014年2月13日木曜日

もうひとつの「火の玉」


暗闇の空間を、ゆっくり浮遊する青白い炎。幽霊は怨霊でない限り怖くないと言うのがわたしの持論ですが、これを目撃したときは、本当に全身の血が凍りつくほどの恐怖を感じました。人の霊魂が、体から離脱するときの現象と言われる火の玉。実は現世には、これとは別の火の玉が存在します。

霊的なお話とは正反対の科学が語る火の玉で、日本では「球電」、アメリカでは「ボールライトニング」と呼ばれる現象です。

 
ボールライトニングは、雷雨の最中や直後に発生する球状の発光体です。空中の低い位置を、人が歩く速さほどで移動するそうですよ。それはまるで、自分の足元で転がりながらついて来る生き物のようだといいます。色は黄色っぽい赤や青白く、大きさは数センチから2~3メートルなんて巨大なモノまで様々。中には、家のドアを押し開けて入って来るボールライトニングもあり、これはかなり怖いですね。ただし、火の玉でも熱くないそうです。

 
さて、ボールライトニングがなぜ発生するかは、現代科学でもまだ仮説の粋を超えていません。必ず雷雨の最中や直後に発生することから、雷の電光放電の電磁波をエネルギーとするプラズマの一種ではないかと言う説が有力でも、立証には至ってないのです。また興味深いところでは、異次元空間説があります。わたしたちたが存在する世界とは別の世界、異次元との間には電磁波が循環する環があり、ボールライトニングはそこを移動している発光体だと言うのです。つまり、異空間からわたしたちの世界を「横切る」光かもしれないとする説で、これはもう超常現象ですね。

 
19世紀末のフランスで、このボールライトニングを蹴った子供が火傷するという事故が起きています。熱くなくても火傷するのは、かなり強力な電磁波を帯びている証拠かもしれません。

闇の青白い炎は科学的な研究が進んでいるそうです。もうひとつの火の玉ボールライトニングも、その正体を早く解明してほしいですね。

2014年2月11日火曜日

科学が挑むポルターガイストの謎


壁の内側から聞こえる音、誰もいない部屋に響く足音。食器や小物が動いたり、人ひとりの力では持ち上がらないほど大きな家具が空間を飛ぶ…。

ポルターガイストは、ドイツ語の「poltern(騒がしい)」と「Geist(幽霊)」のふたつの言葉から生まれた呼び名の超常現象です。最も古い事例では西暦858年、ドイツ・ライン川沿いの農家で「悪魔が石を飛ばし、壁を打ち鳴らす怪現象が起きた」という記録があります。また、カナダ・トロントにある歴史的な建物「マッケンジー・ハウス」では、現在でもポルターガイスト現象が起きています。トロント市が建物保存のため古い登記書類を調べたところ、その目録に「幽霊1体」と記されていたそうですよ。

 
さて、この不思議な現象に科学が挑み始めたのは1882年。心霊現象の科学的調査を目的とした心霊調査協会が、イギリスに設立されてからでした。ポルターガイストのすべてが単なる作り話やイタズラではない、と信じる科学者たちにある方向への道筋を示したのが、20世紀初頭の心理学者ジークムント・フロイトです。それは、彼の無意識の心理と人間の行動との関連説でした。

ポルターガイストの事例を詳細に調べてみると、その幾つかに思春期を迎えた子供たちの存在がありました。人間の本能をまだ理性でコントロールできない年齢のとき、外部の力でそれを抑えようとして「無意識」のうちに発散されるエネルギー。ポルターガイスト現象は、この「負の心理エネルギーの実体化」だと考えたのです。しかしこれだけでは、一部の現象の説明に過ぎませんでした。イギリス・ケント州で発生したポルターガイストは、誰も住んでいない空き家の中から様々な音が聞こえました。心理エネルギー説だけでは、人が存在しない場所での現象は説明できなかったのです。

 
そこで、もうひとつ紹介する考えが「幽霊+心理エネルギー」という説です。フロイトより少し前の19世紀末の哲学者アラン・カーデックの説で、「ポルターガイストは悪霊が起こす現象であり、彼らは自分が亡くなった認識がなく、生前の家に住み続ける。そして空間に漂う人間の微かな心理エネルギーを利用して物を動かす」というのです。フロイトの登場より前に提唱されたこの説は、ある時期まで多くの科学者が賛同しました。

 
こうして、ポルターガイストを巡る科学的な議論は、フロイトの無意識説とカーデックの心霊現象説を軸に展開されてきました。しかし、心霊現象説ではまず霊の存在を証明しなくてはならず、無意識説も「負の心理エネルギー」がどのように物を動かすのか立証されていません。それゆえ現在では、イタズラ説や建物の構造説が主流になっているのです。

 
ポルターガイスト…この不思議極まる超常現象の科学の挑戦には、限界があるのでしょうか。議論や研究は地道ながらも続いているようなので、謎は必ず解き明かされると信じたいです。