2014年4月27日日曜日

恐るべき電子スパイ「エシュロン」


これは、あくまで都市伝説です。ただ、妙な現実感を含み語られるのもまた事実で、このお話を信じるか、一笑に伏すかはあなた次第です。

 
現代の諜報活動は二種類に分かれます。そのひとつが「ヒューマミント」と呼ばれる人間を動かすスパイ行為で、まさに映画の「007シリーズ」の活動です。もうひとつが、今回語る「シギント」。世界中の無線通信や暗号化された外交通信の傍受、さらにインターネットなどのネットワークに侵入して情報を得る、科学装備を利用したスパイ活動です。

アメリカの国防総省には、シギントを実行するNSAと呼ばれる組織があり、これはFBIやCIAとは別組織の国家安全保障機関です。文字通り、電子スパイの総本山。本部はメリーランド州にあり、職員は4万人とも10万人とも言われる巨大組織なのです。このNSAが主導する地球規模の通信情報傍受システムこそ、恐るべきネットワーク「エシュロン」です。

 
エシュロンによる傍受は、電話、電子メール、ネットからのダウンロード、そして衛生通信など、世界中のあらゆる通信に対し無差別におこなわれているそうです。また、地球規模で通信ネットワークを監視するため、その傍受基地が世界の各地に設置されているとか。もちろん、国民に対するこうした行為は明らかに違法です。当然、アメリカ政府はエシュロンを認めませんが、その存在を確信する人々もまた少なくないのです。

例えばあの大惨事、9・11事件。発生後まもなく、政府が犯人グループの動きを事前に察知していたというニュースが報じられました。これこそ、エシュロンによる通信傍受の結果です。また2001年5月、北朝鮮の当時の最高指導者の長男が成田空港に到着してすぐ拘束された事件も、エシュロンが傍受した情報が事前に日本政府に提供されていたと思われるのです。

 
闇の巨大組織NSA、そして謎の巨大ネットワークシステム「エシュロン」。目に見えないスパイ活動は、今、わたしたちの周辺で展開しているのでしょうか? 気軽に送るメール、便利に使うナビゲーション…それらが常に、何者かによって監視されているかもしれないのです。

では、最後にもう一度。このお話は、あくまで都市伝説です。信じるか一笑に伏すかはあなた次第です。

2014年4月17日木曜日

彼は何を見たのか? その光景の謎と真実


「太陽は天から消え、不気味な暗闇がこの世を覆っていった」。これは、古代ギリシャの詩人ホメロスが紀元前8世紀ごろに書いた「オデュッセイア」に登場する描写です。英雄オデュッセウスが、トロイヤから祖国ギリシャへ戻るまでの10年間を語った大叙事詩で、ホメロスの作品では「イーリアス」と並ぶ傑作と言われています。その中で、オデュッセウスが見たと記された冒頭の現象。歴史家や古典学者の間ではある時期まで、これは皆既日食だったという説が定着していました。古文書の記録により、紀元前に皆既日食が起きたのは1178年4月16日の一度だけだったことが立証されていたからです。これが、オデュッセイアの物語の時代と重なっているのです。

また西暦2008年6月には、アメリカの大学教授が「オデュッセイア」に記された天文学的な記述を詳しく調べた研究論文を公開しています。それによれば、目撃記述の前に皆既日食が起こる必須条件である新月が出ていなかったことや、金星が明るく輝いていたことなど、4つの条件がそろっていました。

ただ作者のホメロスは、この描写が出現した時代よりかなり後世の人物です。実際の皆既日食を見たことのない者が、それを描けるはずはないという説を提唱する学者もいるのです。しかし、何も起きなければ「太陽が消える」という描写は登場しなかったでしょう。オデュッセウスは何を見たのか…謎の解明は現在も続いているそうです。

 
さてもうひとつは、「ほぼ真実」を語れるお話です。旧約聖書「エゼキエル書」の第一章に登場する描写「北の方角から激しい風と巨大な雲が湧き出て、その周囲は眩しく輝き、炎を吹き出し、その中に琥珀金のように輝くものがあった」です。予言者エゼキエルが見たモノは、まさに地球外から飛来したUFO。NASAの元研究員が、こうした記述からUFOの復元設計図まで作成しています。この真実は極めて明快。古典学をまったく知らない、UFOマニアたちのいわば都市伝説です。彼らはエゼキエル本人がその光景を目撃したと思い込んでいるようですが、「エゼキエル書」は後世に多くの人間の手で書き加えられているのです。あること、ないこと、様々なエピソードが追加されていき、原本がどうだったのか現在では調べようがなく、実際にエゼキエルが何かを見たとしても、異星人の宇宙船という説はかなり無理があるようです。

また、この描写に登場する「琥珀金」がヘブライ語で「エレクトロン」と言うことから、「古代人は電気を使っていた」というお話がありますが、これも都市伝説。電気=エレクトロンは、静電気が発見された近代以後に使われるようになった言葉なのです。

 
様々な古い文献に登場する様々な記述は、純粋な学問の研究対象になったり都市伝説の元ネタになったりします。これはまさに、人間の探究心の深さ豊かさではないかと、わたしは思います。

2014年4月14日月曜日

探せば出逢える幽霊


そんな幽霊いるの? とお考えでしょうか。ヘンリー・アドルフ、イゴール・ゴーゴリ…これは、人々の粘り強い探索により発見された幽霊たちの名前です。ほかにも大勢いる(かもしれない)彼らを「幽霊指揮者」といい、クラシック・ファンの間で語り継がれる都市伝説です。

幽霊といっても、亡くなった人の霊がステージに現れるというお話ではありません。世の中に実在しない指揮者の名前が記されたクラシックCDがあり、この実在しない指揮者を「幽霊指揮者」と呼ぶのです。冒頭のふたり、いかにもそれっぽい名前だと思いませんか?

 
この都市伝説の元ネタは1996年末、香港のある音楽レーベルのホームページに載った記事です。指揮者でプロデューサーでもあるアルフレッド・ショルツという人物が、オーストラリア放送の放送録音を大量に買い、これに架空の指揮者やオーケストラの名前をつけたそうです。つまり、CD用にレコーディングしたものではなく、テレビやラジオの放送用に録音した音源をCD化し適当なクレジットを入れて売ったという、衝撃的な記事でした。ショルツ氏は独自のレーベルを設立し、この音源を使ったCDを大量に市場へ出したようです。日本でも、書店や露店などで見掛ける1枚1000円程度の格安CDの中に、こうした幽霊指揮者の名前が記載された物があるそうです。

 
ショルツ氏の記事がサイトに載った期間は1週間ほどと短く、今では事実関係を確認することができません。さらに、サイトを見たクラシック・ファンの様々な「見解」が流布したことで完全に都市伝説化しました。しかも、実際にその楽曲を指揮しているのはかなり有名な指揮者であっても、実在しない幽霊指揮者の名前になっていたりして、これがクラシック・ファンの興味を惹きました。現在では、大量に出回る格安CDの中から、ショルツ氏のレーベルを探す「幽霊指揮者探索」が楽しみな人もいるそうですよ。

2014年4月8日火曜日

闇の仕事人だった?「石川五右衛門の実像」


安土桃山時代、大盗賊の名を天下に轟かせたと言われる石川五右衛門。壮絶な最期が広く知られる一方、出生はもちろん本名や人生はまったく不明の、謎に包まれた人物です。処刑されたときが36歳ともいわれ、これが正しければ西暦1558年生まれですが、資料・文献で確認することはできません。伊賀の忍者、浜松の武士、あるいは丹後国の領主の家臣と様々に語られる身分は、江戸時代に生まれた伝説だといわれます。

ただし架空の人物ではなく、実在したのは確かです。「釜ゆで」の刑に処せられた記述が、この時代の文献の幾つかに記されているからです。例えば、公家の山科言経(やましなときつね)の日記「言経卿記」の、1594年8月24日の記述。「盗人10人、子一人等、釜にて煮らる」と記されていますが、ここには五右衛門の名前は登場しません。しかし、同じ時代に日本で活動していたスペイン人の宣教師が記した「日本王国記」では、処刑された人物の名前「Ixicava goyemon(イシカワ ゴエモン)」が現在でも確認できます。日本王国記はさらに、五右衛門の妻子や両親、5親等までの親族が処刑されたと記しています。釜ゆでという惨忍極まる処刑、そして親族に至るまでの徹底的な「抹殺」。一介の盗人にしては、五右衛門の刑罰の重さは見せしめのレベルをはるかに超えている…と考えられないでしょうか。

 
実に興味深い説があります。石川五右衛門は、依頼を請けてターゲットを闇に葬る暗殺者集団のリーダーだったという説です。つまり、闇の仕事人の元締めですね。その一世一代の大仕事が、時の権力者・豊臣秀吉の暗殺だったのです。この説の元になったのが、1802年に刊行された「絵本太閤記」でした。

「関白秀次の家臣・木村常陸介(きむらひたちのすけ)から、太閤秀吉の暗殺依頼を請ける。五右衛門は伏見城に潜入し、丑三つどきに秀吉の部屋に忍び込むが気付かれ、駆け付けた侍従たちに取り押さえられた」

秀吉の甥・秀次には、叔父を暗殺する動機が充分にありました。関白の位を譲ってもらい、やがては後継者になるはずが秀頼の誕生により完璧な疎遠状態となり、その地位から一気に転げ落ちたのです。そこで、最も優秀な仕事人に仕事を依頼したというワケです。

 
もちろん、これは仮説です。ただ、江戸時代の歌舞伎や浄瑠璃が作り上げた大盗賊とか義賊という姿より、石川五右衛門の実像にかなり近い仮説だと主張する歴史家が少なくありません。はたして彼は、闇の仕事人だったのでしょうか。五右衛門のお墓は、京都の大雲院(だいうんいん)というお寺にあります。刑場へ向かう途中、このお寺の住職の仏法を聞いた縁でここに葬られたそうですよ。