2012年8月18日土曜日

切り裂きジャックは女性だった?


19世紀末のロンドン。最も東の端に位置するイーストエンド地区は移民や亡命者が多く、貧しい暮らしを支えるために、街角に立つ女性が大勢いたそうです。そんな彼女たちが次々と無惨な姿で発見された「切り裂きジャック事件」は、ロンドン市民を恐怖のどん底に突き落としました。自らその名を名乗り、ロンドン警視庁に挑戦するような手紙を送ったこの事件は、現在の「劇場型犯罪」の元祖と言われています。



医学的な知識のある者、その職業の女性に怨みを持つ者など、様々な犯人像がプロファイリングされました。その中で一際興味深いのが、同じロンドンに在住し、事件をリアルタイムで体感したあのコナン・ドイルの推理です。彼は最初の被害者が出た直後から事件が知れ渡ったにも関わらず、女性たちがほとんど抵抗なく亡くなっている事実から、こんな説を提唱しました。「犯人は、彼女たちが安心するよう女性の服装をしていたのだ」。ロンドン警視庁は、この説に飛びつきました。実は最後の被害者が出たアパートの女性管理人が、彼女が亡くなった数時間後にその部屋を出る女性を目撃していたのです。正確には、被害者のショールを纏った人物で、管理人は被害者本人だと思ったそうです。



「犯人は女性ではないか」。この説を裏付けるように、5人(7人とも言われる)の被害者のうち3人が妊娠しており、子供を「処理する」ための手助けをする女性かもしれないと考えられたのです。「切り裂きジル」なんて呼び名も出ましたが、この説に反論する犯罪学者もいました。犯罪心理学の見地では、女性が同性を連続して何人も襲う事は考えられないと言うのです。当時でも女性の犯罪は多発していましたが、被害者はすべて男性でした。



犯人は、やはり「ジル」ではなく「ジャック」なのか? 飛び交う憶測と諸説に混乱するロンドン警視庁を悠然と眺め、1888年11月、最も酷い被害者と言われたメアリー・シェーン・ケリーを最後に、犯人は姿を消しました。以後、医学博士や元医学生、貴族など多くの容疑者が指摘されても、結局決め手がなかった「切り裂きジャック事件」は、都市伝説化して現在まで語り継がれているのです。

2012年8月10日金曜日

モナ・リザ・ミステリー


優しい眼差し、口元に湛えた僅かな微笑み、そして柔らかく重なる手。世界中の人々に知られる肖像画は、また、数多くの謎が見る人を惹き付けるのです。そこで今回は、「モナ・リザ」のふたつの謎に関して語ります。



モナ・リザは1503年から2年間、フィレンツェの教会でレオナルド・ダ・ヴンイチにより製作された事実以外、何の記録もありません。「記録魔」と言われるほど自身の活動に関して多くのメモを残したダ・ヴィンチが、モナ・リザの記録を何ひとつ残してない事から、様々な謎が生まれたのです。その最大の謎が、「モデルは誰か?」です。

それに関しての唯一の資料は、1550年に発刊された「芸術家列伝」という本の記述です。「フィレンツェの富豪フランチェスコ・デル・ジョコンドのために、彼の妻モンナ・リザ(リザ夫人)の肖像画を引き受けた」と書かれており、これが長い間、モデルは誰かの定説になっていました。しかし、ダ・ヴィンチが完成した肖像画をジョコンド氏に渡さず生涯手元に置いた事と、「芸術家列伝」自体がダ・ヴィンチの没後30年以上過ぎて書かれた事実で、近年、この定説の信憑性は低くなっています。



20世紀になって提唱されたのが、実はモデルは男性で、ダ・ヴィンチ本人ではないかという驚くべき新説です。1986年、アメリカの研究所でモナ・リザとダ・ヴィンチの自画像をコンピュータ画像で重ねたところ、顔の造形がほぼ一致したのです。2007年10月には、モナ・リザの眉も発見されており、さらにこの説を裏付けました。モナ・リザがダ・ヴィンチ独特の世界観で描かれた彼の自画像だとすると、もうひとつの謎「背景」の説明もできるのです。



ダ・ヴィンチが活躍した16世紀は、「肖像画の時代」とも言われます。数多くの画家が、競って高貴な身分の人々を描きましたが、その背景は必ず「人物が存在する空間」でした。つまり、モデルが立つ部屋や庭園などです。モナ・リザはどうでしょう。真ん中に位置する人物の右と左の風景がまったく異なり、地平線さえ一致していません。研究家によれば、向かって右側が現在の風景で、左側は水の浸食作用で出現する未来の大地だそうです。水の循環や浸食などの自然観、そこから発展させた「人の命の源」という世界観を、ダ・ヴィンチは自画像に描いたと言われるのです。



モデルは誰か? 肖像画らしくない背景の理由は何か? 様々な新説が提唱されても、それらは仮説の粋を超える事はありません。モナ・リザは永遠に謎の微笑みを湛え続け、それに惹かれる人々の解明も続くのです。

2012年8月2日木曜日

夢をありがとう!


彼はもしかして、夢の偉業を本当に成し遂げてくださるかもと、ある程度の期待がありました。しかし終わってみれば、わたしの周囲の人々は口を揃えて言いました。「やはり、無理だったね」。



オリンピック3回連続の金メダル。競泳にさほど詳しくないわたしでも、毎年、世界記録が更新される「物凄いスポーツ」なのは解ります。その世界で4年に一度、12年の歳月の中で頂点を極め続ける事が本当に可能なのか…期待の反面、懐疑的な気持ちもありました。

友人たちがやはりと思ったのは、ヒトがどうしても避けられない年齢です。とくに物凄いスポーツ競泳は、心の強さや高度な技に加え、力の強さが絶対的に必要でしょう。どれほど鍛えても、体力の衰えを止める事はできませんね。オリンピックの決勝レベルでは、それが歴然の差になるようです。



彼は当然、ベスト・コンディションで臨んだはずです。思い通りの泳ぎができても、なぜか先頭に出られない。それが、年齢の実感なのです。

常に自分を厳しい状況に置き、高い目標を持ち、それに向かい心身を極めていく…彼のそうした姿は、どれほどの人々に影響を与えたでしょうか。今回のオリンピックでは、他の日本人選手にさえ勝てませんでしたが、彼の気持ちの強さは心から尊敬します。



4年前、北京の競泳会場での雄姿は、日本人の記憶に鮮やかに刻まれました。彼の性格では、こんな言葉は聞きたくないとおっしゃるかもしれませんが、わたしの素直な気持ちとして贈ります。

「ご苦労さまでした」そして、「夢をありがとう!」。