19世紀末のロンドン。最も東の端に位置するイーストエンド地区は移民や亡命者が多く、貧しい暮らしを支えるために、街角に立つ女性が大勢いたそうです。そんな彼女たちが次々と無惨な姿で発見された「切り裂きジャック事件」は、ロンドン市民を恐怖のどん底に突き落としました。自らその名を名乗り、ロンドン警視庁に挑戦するような手紙を送ったこの事件は、現在の「劇場型犯罪」の元祖と言われています。
医学的な知識のある者、その職業の女性に怨みを持つ者など、様々な犯人像がプロファイリングされました。その中で一際興味深いのが、同じロンドンに在住し、事件をリアルタイムで体感したあのコナン・ドイルの推理です。彼は最初の被害者が出た直後から事件が知れ渡ったにも関わらず、女性たちがほとんど抵抗なく亡くなっている事実から、こんな説を提唱しました。「犯人は、彼女たちが安心するよう女性の服装をしていたのだ」。ロンドン警視庁は、この説に飛びつきました。実は最後の被害者が出たアパートの女性管理人が、彼女が亡くなった数時間後にその部屋を出る女性を目撃していたのです。正確には、被害者のショールを纏った人物で、管理人は被害者本人だと思ったそうです。
「犯人は女性ではないか」。この説を裏付けるように、5人(7人とも言われる)の被害者のうち3人が妊娠しており、子供を「処理する」ための手助けをする女性かもしれないと考えられたのです。「切り裂きジル」なんて呼び名も出ましたが、この説に反論する犯罪学者もいました。犯罪心理学の見地では、女性が同性を連続して何人も襲う事は考えられないと言うのです。当時でも女性の犯罪は多発していましたが、被害者はすべて男性でした。
犯人は、やはり「ジル」ではなく「ジャック」なのか? 飛び交う憶測と諸説に混乱するロンドン警視庁を悠然と眺め、1888年11月、最も酷い被害者と言われたメアリー・シェーン・ケリーを最後に、犯人は姿を消しました。以後、医学博士や元医学生、貴族など多くの容疑者が指摘されても、結局決め手がなかった「切り裂きジャック事件」は、都市伝説化して現在まで語り継がれているのです。