世界の各地で語られる都市伝説は、ワールドワイドなお話もあれば、その国独特の文化で育まれた物語もあります。とくに後者は、その国以外ではほとんど普及せず、例えば欧米でよく語られる「ママのひと言」という都市伝説は、日本人にはあまり理解できないでしょう。イソップ童話が原型のかなり怖いお話ですが、逆に、海を渡らない日本独特の恐怖系都市伝説もあるのです。それは、こんなお話です。
Tさんは、都会でひとり暮らしをする若い女性です。彼女の自宅は女性専用のマンションでしたが、ある日を境に、不思議な恐怖を感じるようになります。じっと自分を見つめる視線や、息を潜めた「誰か」が部屋にいる気配を感じたのです。壁に穴があいているワケでもなく、しかも隣り近所はすべて女性なので、妙な事をする人もいないはず。カギをかけ、窓のカーテンを閉めても何者かの視線や気配は消えませんでした。それが数日間続き、ついに耐えられなくなったTさんは、友達を何人か呼び、みんなで部屋を調べました。すると、なんとも恐るべき原因が分かります。洋服タンスと壁の僅か数センチのすき間に、髪の長い女性が立っていたのです。しかも彼女の体半分は、壁の中に「溶け込んでいた」と言います。無表情のまま、鋭い上目使いでTさんたちを睨むその恐怖…。もちろんTさんは、翌日別のマンションに移りました。
Tさんのように、怖くて引っ越したお話の他に、この「すき間に立つ女性」を好きになってしまう男性のバージョンもあります。会社に出勤しないため、心配した職場仲間が彼のアパートを訪れます。そこにいた男性に、「何をしている」と尋ねると、彼は「彼女が行くなと言うから」と答えます。もちろん、部屋には男性以外誰もいません。職場仲間は、彼が指さした台所の冷蔵庫のすき間に立つ赤いドレスの女性を目撃しました。他にも、窓と鉄格子の僅か5センチのすき間に張り付き、部屋の中を覗く男性のお話もあります。まるで、スルメのように平たくなっていたようです。
有り得ない場所に存在する者たちが幽霊なのは、明白ですね。タンスとか冷蔵庫のすき間と言う、僅かな暗がりの設定がいかにも日本的です。それもそのはずで、この都市伝説の元は、江戸時代の「耳ぶくろ」という随筆集に記されたお話なのです。「房斎(ぼうさい)新宅怪談の事」なるタイトルで、房斎という名の人物が新しい自宅で体験した話を記しています。二階の部屋にあるタンスの引き出しがどうにも開かず、それでも力ずくでようやく開いた瞬間、引き出しの中から女性の幽霊が飛び出したのです。すき間でひたすら立つだけの現在のお話とは多少異なりますが、「すき間の人」は、日本の古い怪談が発展したお国柄豊かな都市伝説なのです。