2013年7月4日木曜日

これが写楽の真実


まず、例え話です。画家ではない素人の、ごく普通のサラリーマンAさんが趣味で描いた絵をコンテストに出品します。その極めて斬新な構図が人々を惹き付け、絵には大変な高値がつきました。Aさんは販売元の会社の依頼でさらに数点の絵を描き、それも高値で売れました。しかし、Aさんは絵を仕事にする気はなく、著作権を会社に譲渡、二度と描かなくなります。それでも絵の需要は高まる一方なので、会社は他の画家数人が描いた絵をAさんの作品として販売しました。自分の手持ち資料を読んだ限りでは、これが写楽の真実ではないかと、わたしは考えます。

 
東州斎写楽が何者で実在したのかを語るとき、参考になる史実がふたつあります。彼は僅か10か月で140点という驚異的なスピードで絵を描き、その後姿を消したこと。そして版元が、彼に関して何ひとつ語らなかったことです。写楽が何者かを、実在する人物の名前で最初に示したのは日本人ではありませんでした。それはドイツ人の美術研究家ユリウス・クルトで、1910年に阿波国の能役者・斉藤十郎兵衛だと主張したのです。ただ、阿波藩の資料にその名前はなく、信憑性が薄いとされました。ところが1993年、日本人の歴史研究家により「斉藤十郎兵衛」という能役者の実在が確認されました。上記の例え話でのAさんが、彼だったかもしれないのです。

 
さて浮世絵は、一点を仕上げるまでに大変な労力と長い時間がかかります。つまり、10か月の間に140点を描く事は、ひとりでは物理的に不可能だと考えられるのです。また、写楽の作品とされる浮世絵が、初期のそれと最後の方では構図の斬新さが薄れていくのです。こうした事から、最初の数点は斉藤十郎兵衛が描き、残りは版元が他の絵師に描いてもらい、「写楽」のブランドで売ったと考える研究者もいるのです。

 
はたして、これが真実なのでしょうか。実は2008年、写楽の肉筆と見られる絵画がギリシャの美術館で発見されたそうです。彼の実態が解明されるのか、あるいは新たな謎が生まれるのか…興味は尽きません。

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