2013年6月8日土曜日

平家落人伝説の真実


1185年3月24日、「源平合戦」の最後の舞台・壇ノ浦の戦いに敗れた平家。その残党は落武者となって全国に散り、日本各地の山間部に隠れ住んで子孫を残しました。これが、世に語られる「平家落人伝説」です。この伝説は、北は三陸地方から南は奄美大島に至るまで約150か所の山間の集落にあり、とくに壇ノ浦に近い九州や四国、中国地方に多く語られます。壇ノ浦での平家の兵力は、船500隻とも1000隻ともいわれた大軍だったので、実際に逃げ延びた武士が中にはいた可能性はあります。しかし、彼らは源氏の追撃を逃れるため、その身分や素性を徹底的に隠したはずであり、史実として裏付けされる落人伝説はほとんどないといわれます。

 
平家落人伝説が全国各地に残るのは、「平家物語」が集落の存続のため活用された事に由来すると考えられています。つまり、「自分たちは平家の末裔なのだから、団結してその血筋を守っていこう」という意識づけです。その象徴的な場所が、岐阜県の白川郷です。現在は世界遺産としてよく知られた集落ですが、その前は文字通りの「陸の孤島」でした。それでも、独自の伝統を守り続けることができたのは、平家落人伝説により村人たちの結束が強まったからだそうです。

 
こうした各地の平家落人伝説の内容は、「村民全員の祖先が平家ゆかりの一族と信じられている」、「安徳天皇が隠れ住んだ里といわれる」、「平家一門の家系が存続しているとされる」の三つに大別できるようです。このうち三つ目には、史実と一致する本物の落人伝説と思われるケースがあります。石川県内にある時国(ときくに)家です。その祖先は大納言・平時忠(たいらのときただ)の五男、時国であり、この一族は身内を源氏に嫁がせることで免罪となり、能登に流されました。これは史実として「吾妻鏡」に記されていて、時国家の家史とも一致するそうです。そのため、時国家の落人伝説は真実と見る歴史家が多いのです。

 
それにしてもいにしえの時代、山深い場所を開拓し村を作ったのは誰だったのでしょうか。それは戦乱の世で大量に発生した落武者たちであり、厳しい環境を生き抜くため、「武士のブランド」ともいえる平家の子孫であることを信じ結束したと考えられています。その想いは次の世代へと受け継がれ、そして現在でも平家落人伝説として語られるのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿