2013年6月1日土曜日

エル・ドラドの黄金伝説


中世の大航海時代、海の彼方を目指した探検家たちの話として、黄金の都の伝説がヨーロッパに広がりました。その呼び名「エル・ドラド」とは、元はアンデス山脈北側の高地に住むムイスカ族の首長の事です。「金粉を塗る人」という意味のスペイン語であり、新しい首長が、就任の儀式で全身に金粉を塗り、聖なる湖に飛び込んで金粉を洗い流した事に由来します。その際、部族の人々はエメラルドや金の装飾品を湖に投げ込み、首長の就任を祝いました。これがやがて、「インカ帝国の北側に黄金の地がある」という伝説に変わったのです。

 

ムイスカ族が住んでいた場所は、現在のコロンビアの首都ボゴタ周辺と言われています。ただ16世紀ではそれさえはっきり判っておらず、古い地図にはエル・ドラドがあちこちに記されていたそうです。その不確定な地図を頼りに、数多くの探検家たちが黄金の都を目指しましたが、結果は酷いものでした。例えばドイツの総督ゲオルグ・ホエルムートは、1535年に400人の遠征隊を率いてエル・ドラドに向かいました。伝説の湖とされるグアタビータ湖の近くまで行きましたが、そのときの隊員は100人余り。気力も体力も、そして資金も底をついて国に引き返したそうです。その翌年に挑戦した同じくドイツ人の探検家ニコラス・フェーダーマンはさらに酷く、約1000人の遠征隊がムイスカ族の村に到着したときは90人にまで減っていました。現地の激しい気候や自然、マラリアなどの伝染病が、彼らの行く手を遮ったのです。

 

結局、ヨーロッパ人には発見できず、伝説だけが語り継がれた「エル・ドラド」。ムイスカ族は、本当に黄金の民だったのでしょうか。ボゴタ周辺に鉱山はありますが、金鉱は存在しない事が現在では解っています。ただ、ホエルムートやフェーダーマンがムイスカの村で大量の金の装飾品を見たのは事実です。これは、ムイスカ族の人々が交易で入手した金を細工して作った物でした。また1545年、エルナン・ペレスという人物が、グアタビータ湖の水をバケツで汲み上げるという人海戦術を展開し、3ヶ月かけて水位を下げ、湖に沈む数百個の金製品を回収しました。その40年後にも、スペインの商人が排水用のトンネルを掘り、金製品やエメラルドをたくさん回収したそうです。ただ、土砂崩れで計画は中断。20世紀になり、イギリスの企業がトンネル方式で再挑戦するも、やはり激しい土砂崩れと湖底の泥の硬さで断念しました。

 

黄金の都ではありませんが、アンデス山脈北側の小さな湖に、大量の黄金が眠っているのは事実です。ただしそこは、女神が宿る聖なる場所であり、その湖底に沈む物も、儀式で捧げられた聖なる品物です。お金に換算する価値観しかない人にとっては、まさに「永遠の伝説」であり続けるでしょう。

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