2013年8月18日日曜日

イギリスの赤いバラはなぜ散った?


1997年8月31日深夜、2台のバイクに追われパリ市内を猛スピードで走るベンツが、セーヌ川に架かるアルマ橋近くのトンネル内で中央分離帯に激突しました。大破したベンツの後部席に乗っていたのはダイアナ元皇太子妃と、婚約者でエジプト系イギリス人の実業家ドディ・アルファイド氏。運転手はふたりが宿泊していたホテルの警備責任者で、助手席にはガードマンが乗っていました。アルファイド氏と運転手はその場で亡くなり、ダイアナ元妃も運び込まれた病院で息を引き取ります。そしてガードマンだけが、一命を取り留めました。

 
世界中の人々に衝撃を与えたこの交通事故。直後は、車を追いかけていたカメラマンたちの行動が非難されましたが、パリ警察が発表した事故原因は、運転手の体調が「かなり危険な状態だった」という事です。お酒を飲み、さらに反射神経が鈍くなる薬も飲んでいたのだとか。しかしその後、この説を否定するような証拠や証言が次々と出て来るのです。まず、唯ひとり助かったボディガードの男性は「バイクの他に1台の車が追いかけて来た」と証言。事故現場ではベンツの物ではない部品が発見され、さらに事故車の右前部分に別の車の塗装がついていたのです。この「謎の車」を、現場近くのホテルの窓から目撃した人もいました。塗装の分析から、謎の車がフィアットである事までは解りましたが、結局、該当車は発見できませんでした。また運転手も、ホテルの防犯カメラに映る姿では、とてもお酒を飲んでいるようには見えませんでした。こうした数多くの不可解な事実から、「ダイアナ元妃は暗殺された」という説が囁かれるようになるのです。

 
では、暗殺説が生まれた理由は何でしょう。提唱者が指摘するのは、ダイアナ元妃の婚約者アルファイド氏です。アルファイド家はイスラム教徒であり、ドディ氏とダイアナ元妃が結婚し子供が生まれれば、その子は将来のイギリス国王・ウィリアム王子とは異父兄弟になります。イギリス政府は、アルファイド家が将来、この血縁を利用してイギリスへの影響力を強めるのではないかと考えたのです。そこで諜報機関を使い、暗殺計画を実行したと言うのです。この説は一部の提唱者に留まらず、とくにイスラム圏のメディアが強く指摘するようになりました。2007年10月、ロンドン高等法院は事故究明の審問を開始。事故の再調査や関係者への審問をおこない、2008年3月、結局、最初のパリ警察と同じ「過失による交通事故」という結論を出しました。

 
ただ純粋に、幸せを願っていたひとりの女性。彼女は「イギリスの赤いバラ」とも呼ばれ、国民に広く愛された女性でした。イギリスの世論調査によれば、今もなお国民の8割以上が、何らかの陰謀により彼女は亡くなったと考えているそうです。

 
ときに2013年8月、この出来事に関する新たな情報が世界に伝えられました。イギリスの軍部が仕掛けた暗殺だったと、元軍人の義理の親が証言したのです。ロンドン警視庁もこの情報を確認していますが、事件の捜査はせず、あくまで証言の信ぴょう性を調べるだけだとか。可愛い初孫、ジョージ王子をその腕に抱くこともできなかったダイアナ元妃。何を胸に秘め、天国から現世を見下ろしているでしょうか。

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