2013年1月28日月曜日

霊の顔が現れた場所は…?


周りの環境や、交通の利便性などの条件がとてもいいのに、家賃が異常に安いアパート。こうした物件は、ほとんどの人が「何かある」と思いますね。そして、「きっと出るんだ」なんて考えます。夜中に女性の泣き声が聞こえたり、壁に幽霊の姿が浮き上がったり…。怖いお話ではあっても、めずらしくはありません。ただ、今回語るお話は、少し変わったケースかもしれませんよ。

 

ある都市伝説の本の著者が、友人の体験談として記したお話です。著者N氏の友人でデザイナーのS氏は、幽霊とか超常現象をまったく信じない男性でした。条件は最高でも家賃がとても安いアパートの一室を、「仕事場に近い」という理由だけで借りました。「やめた方がいい」と言うN氏の言葉にも、「俺はそういうの信じないから」と笑っていたそうです。

 

その部屋で暮らし始めてまもなく、S氏は金属アレルギーになりました。それまで、そんな事は一度もなかったのに、腕時計の金属ベルトの部分が異様に痒くなったのです。痒みに耐えられず掻き壊してしまい、やがて手首の掻き傷がかさふたに変わりました。その赤黒いかさふたが、なんと女性の顔のようだったと言うのです。目鼻や口ははっきりと、しかも目の部分から滲み出る血はまさに涙。薬を塗っても、すぐにまたこの形が浮き出るというS氏の話に、N氏は寒気がしたそうです。

 

数日後、S氏はついに「伝説」を体験します。突然、女性のすすり泣きが聞こえ、部屋の壁に彼女の姿が現れたのです。翌朝、近所のおばさんから「あの部屋では、女性がふたりも亡くなったのよ」と聞かされ、さすがに怖くなって引っ越しました。壁より先に、住人の手首に現れた女性の霊。おばさんの情報によれば、亡くなったひとりはその部分を切ったそうで、本当に怖いお話でした。

2013年1月25日金曜日

かなり怖いぞ「マイアミ・ゾンビ」


今回のお話は、料理に例えるならば相当濃い味付けです。激辛とは申しませんが、決して優しい味付けではないので、ご了解のほどを…。

 

2012年5月26日、アメリカ・フロリダ州マイアミのある公園内で、ひと休みしていた68歳の男性ロバート・ポッポ氏は、突然、まったく面識のない31歳の男性R・Uに噛みつかれました。R・Uはポッポ氏の顔を噛み続け、駆け付けた警察官がやむなく発砲します。なんと12発の弾を受け、その間18分、そしてようやく事切れたのです。幸いにもポッポ氏は一命を取り留めましたが、顔面は原型を留めず、資料に写真があってもとても掲載できるモノではありません。恐るべきは、このR・Uのような事件がさらに続いた事です。

 

5月29日、コロラド州で21歳の大学生が逮捕されたときは、命を奪った友人の体の一部を食べていました。また6月2日には、マイアミで20歳の男性が、「食べてやる」と大声を上げ警察官に噛みつきました。12日のニューヨーク州では、極めて温厚で優しい35歳の女性が、突然、近所の人々に襲い掛かっています。愛犬に噛みつき、吠えながらその体を食べたのはテキサス州の中年男性。6月14日に起きた事件で、彼もまた温厚な人物でした。7月2日にジョージア州のゴルフ場で発生したのは、若い男性が「みんな、食べてやる」と言いながらゴルフクラブを振り回し、人々を追いかけた事件です。このとき、警察官は暴れる男性を抑えるため、高圧電流を放つ道具を使いましたが、普通の人間ならば一回で気を失うはずが、なんと、7回使ってようやく取り押さえたそうです。

 

これらの事件の共通点は、いずれも突発的に人や動物に襲い掛かり、噛みついたり実際に食べたりすること。そして銃弾や高圧電流を受けても、感覚がマヒしているかのように恐ろしい行動を続けたことです。まさにゾンビそのもので、事件の主役たちは、最初の場所から名前を取った「マイアミ・ゾンビ」と呼ばれるようになりました。マスコミは、事件の原因を「バス・ソルト」と言う脱法ドラッグではないかと指摘しました。ところが、警察が発表したゾンビたちの血液検査の結果は、驚くべきモノでした。全員から、大麻の成分が検出されたと言うのです。

 

大麻は、紀元前から世界中で使われてきたクスリです。幸せ気分になり、食欲が増進され、ときには精神疾患も発生しますが、決して「マイアミ・ゾンビ」は生み出しません。「アルコールやタバコより有害ではない」と言う説さえあり、合法化している国もあるのです。そこで、都市伝説が誕生しました。マイアミ・ゾンビの原因は、アトランタにあるアメリカ疾病予防センターが作り上げた細菌兵器ではないか…と。

 

実はゾンビ事件が続いていた間、マイアミでは軍の危険物取扱いチームが出動する不可思議な事件が10件起きていました。さらにゾンビ事件発生の1か月前、疾病予防センターが関連組織に対し「ゾンビに対する備えをしてください」という通達を出していたとか。これらが、都市伝説誕生の要因になったのです。

およそ2ヶ月、アメリカ市民を震え上がらせた「マイアミ・ゾンビ事件」。その後は発生していないようですが、警察の捜査も大して進展しておらず、事件の真相は謎のままだそうです。つまり、いつ再発してもおかしくない状態であり、これは実に恐ろしいですね。

2012年12月23日日曜日

語り継ぎたい歴史「ウォーターゲート事件」


アメリカ史上で唯一、任期途中で辞職した大統領リチャード・ニクソン。彼の名前を歴史に刻んだウォーターゲート事件は、決して公にしてはいけない国家の闇を、アメリカ市民が垣間見た出来事でした。共和党の大統領候補者が、決選の日まで僅か5か月という時期に、なぜ、民主党本部を盗聴しようなどと考えたのか? 今回はその全容と、さらに深い闇の存在を語ります。

 

事件は1972年6月17日午前2時少し過ぎ、ワシントンDCのウォーターゲートビル6階にある民主党本部で、5人の男性が不法侵入により逮捕された事から始まります。当初は単なる窃盗犯と思われた5人の中に、ニクソン大統領の再選をめざす「大統領再選委員会」の関係者が含まれていたのです。これを19日朝、ワシントン・ポスト紙が一面トップで報じました。ホワイトハウスは事件の関与を完全否定するものの、ポスト紙はその後も、大統領を含む政府高官の関与、証拠隠滅、捜査妨害などを示唆する記事を次々と掲載。民主党本部に侵入した5人と、大統領再選委員会のふたりを合わせた7人が、盗聴など8つの罪で告発されました。彼らは、「ウォーターゲート・セブン」と呼ばれたそうですよ。連邦高裁は、盗聴テープの提出をホワイトハウスに要求。しかしニクソン大統領はそれを拒否し、さらに大統領権限により、特別検察官の解雇やウォーターゲート特別連邦検察局の廃止などを行うと公表しました。もみ消し工作としか受け取れないこの行動が、ニクソン大統領を孤立無援の状態に追い込んだのです。1974年8月8日、彼はテレビカメラに向かい、大統領職の辞任を発表しました。

 

リチャード・ニクソン氏は、大統領になる前までの政治活動の中で何度も敗戦を経験し、選挙に対する不安と政界への猜疑心が非常に強かったと言います。そのため、ニクソン陣営の諜報活動は選挙対策だけではなく、ほぼ日常的におこなわれていたようです。民主党本部の盗聴は、単にその「日常活動」のひとつだったのです。選挙資金で私立探偵まで雇っていたそうです。「相手が何を考え、どう動くのか知りたい」。これが、ウォーターゲート事件の表向きの動機と言えるでしょう。実はこの事件には、さらに深い闇の存在を示唆する事実があります。歴史研究家たちが、「静かなるクーデター」と呼ぶ軍部の動きです。

 

ニクソン氏は大統領就任後、ベトナム戦争の休戦を推進したり、ソ連や中国を訪問して冷戦時代の緊張の緩和を推し進めました。こうした動きを、軍部は当然よく思いません。ウォーターゲート事件がホワイトハウスを震撼させるまでに至ったそのキッカケは、ワシントン・ポスト紙の「特ダネ」であり、その記事を書いた人物こそ、国防省に勤めていた元軍人だったのです。また、ホワイトハウスで彼の報告を受けていた大統領補佐官も陸軍大佐でした。つまり、軍の上層部にいた人物たちが、組織の指示で大統領失脚を図った…という説です。ただしこれは、現在でも仮説でしかないのです。

 

アメリカ市民が垣間見た巨大な闇、「ウォーターゲート事件」。もしかしたらそこには、国家の闇よりさらに深い軍部の闇が潜んでいたかもしれません。

2012年12月2日日曜日

元禄赤穂事件あれこれ


戦のない平穏な江戸の世に生きる人々を熱くした出来事。その発端から47人の志士の行動、そして最期までを「元禄赤穂事件」と言い、それを主題にした浄瑠璃・歌舞伎・講談などの一系統が「忠臣蔵」と呼ばれます。現在では時代劇の定番であり、日本人ならば誰もがよく知るお話ですね。その内容は今さら記すまでもないので、今回は、様々な資料の中から元禄赤穂事件の面白いお話を幾つか紹介します。

 

《 必ず当たる芝居 》

江戸庶民を惹き付けたこの出来事は、赤穂浪士たちの切腹から僅か12日後の1703年2月16日に最初の芝居が演じられました。当時は、徳川幕府が事実に基づいた実録風の芝居を禁じていたため、鎌倉時代の曽我兄弟の物語になぞらえて上演されましたが、3日間で終わってしまったそうです。しかし1706年、近松門左衛門が人形浄瑠璃でこれを演じ、また歌舞伎でも数多くの舞台が披露されます。幕府の思惑など吹き飛ばす江戸の庶民パワーで、その後は何度も上演され、芝居の当たり定番となりました。

 

《 松の廊下の真実 》

忠臣蔵の物語の中でも、とくによく知られた場面が「松の廊下」の事件ですね。例の「で…殿中でござる」です。この事件は、その場に居合わせ浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)を押さえたと言われる梶川与惣兵衛(かじかわよそべえ)の日記に記されています。実はその日記には、「殿中」の場所が松の廊下だったとは記されておらず、研究家の中には表白書院の大廊下ではないかと考える人もいます。つまり、壁も襖も真っ白な場所で、それでは芝居にしたとき絵にならないと、劇作家が後付けで考えたかもしれないのです。

 

《 内匠頭の御馳走役 》

天皇の勅使をおもてなしする御馳走役、現代風に言えば宴会の幹事でしょうか。忠臣蔵では、これが初めての浅野内匠頭が慣れない仕事に戸惑うワケですが、史実はそうではないようです。実は17歳にして、朝鮮からの勅使の御馳走役に抜擢されており、江戸城内での仕事は3回目でした。しかも、前の2回も吉良上野介が指南役を務めており、ふたりの人間関係は、忠臣蔵に語られるほど悪くはなかったのです。

 

《 浅野家と吉良家の不思議な運命 》

赤穂浪士たちの残された家族で、とくに男性19人は遠島になりました。しかし、15歳未満は僧侶になる事を条件に遠島を免除されたのです。そして1709年には武家社会への復帰も許され、浅野大学は500石の旗本にまで復活しました。一方の吉良家は、当主の左兵衛が赤穂浪士を安易に屋敷に侵入させた事を理由に、領地を失います。つまり、警備が甘かったというワケですね。さらに、左兵衛本人が軽いケガだけだった事も、「逃げていたのではないか。武士にあるまじき姿」とされ、信濃の国に流されてしまいました。左兵衛はそこで病気になり亡くなります。22歳の若さでした。高家として栄えた吉良家は、ここで途絶えてしまったのです。

 

忠臣蔵の特徴は、物語の壮大さかもしれませんね。赤穂浪士をひとりずつ語るだけでも、47話が作れるのですから。最近はあまり見かけませんが、ひと昔前は12月になるとこの時代劇がテレビや映画に登場していました。そんな元禄赤穂事件の中から、わたしなりに選んだ面白話しでした。

2012年11月20日火曜日

パラレルワールド「大奥」の真実


徳川家康は、その生涯で正室ふたり、側室15人、子供は息子が11人と娘は5人おりました。この大家族のため、江戸城内に居住区を作ったのが大奥の起源です。つまり最初は、将軍の私邸が職場と同じ建物にあったという程度だったのです。1607年に江戸城本丸に作られた大奥の建物は拡大し続け、1845年には本丸御殿の建坪の約半分を占める規模にまでなりました。家康の時代には、彼以外でも多くの武士たちが出入りしていた大奥は、二代将軍秀忠が1618年に定めた「大奥法度」により、将軍だけしか出入りできない女性の世界になったのです。

 

江戸城内から大奥へ通じる廊下はひとつだけで、その出入り口には「御錠口(おじょうぐち)」と呼ばれる鉛の扉がありました。最も多い時期は、およそ1500人の女性たちの職場であった大奥。最高位の上臈御年寄(じょうろうおとしより)は年収100両、一番下の雑用係・御半下(おはした)は2両と、厳しい縦割り社会を形成していました。最高位の女性は公家出身者と決められていましたが、事実上の権力者である御年寄(おとしより)までは、誰でも出世が可能でした。その出世の条件は、「一引き、二運、三器量」と言われ、人並み以上の器量と強い運、そして何より強力な「引き」が昇進を約束したのです。引きとは上からの引き上げの事で、最高の引きは将軍の「お手付き」でした。そのため大奥では、「お庭の御目見え」というイベントが頻繁に開催されたそうです。御年寄が、職位四番目の御中臈(おちゅうろう)の中から、将軍の目に止まりそうな女性を選び、美しい着物姿で大奥の庭を歩いてもらうのです。運良く将軍のお手が付けば、本人は大出世、その女性を選んだ御年寄の力も増しました。

 

こうして拡大し続けた大奥の力は、やがて表舞台の政治にまで影響を及ぼすようになります。最も顕著に現れたのは、10代将軍家冶の時代の老中、田沼意次(たぬまおきつぐ)と松平定信です。大奥の強力な支持を取りつけた意次に対し、8代将軍の孫で気位の高かった定信は、大奥の存在を軽く見ていたのです。御年寄で最高権力者といわれた大崎と対立し、大奥の予算を大幅削減。厳しい規制で取り締まろうとした矢先、老中を解任されてしまいます。この時代、大奥は幕府の一大勢力になっていたのです。

 

1590年の徳川家康の江戸城入城から、幕末の無血開城まで続いた大奥。女性だけのパラレルワールドには様々な人間模様が描かれ、5代将軍綱吉の暗殺現場にもなりました。またそこは、実力と運で頂点を目指す事ができる世界でもあったのです。

2012年11月15日木曜日

現代妖怪見聞録「くねくね」と「テケテケ」


まるで骨や関節がないように、全身を異常に揺らす妖怪「くねくね」が登場したのは、2000年ごろと言われています。「くねくねと動く白い変なモノを見た」とか、「とても人間とは思えない動き」と言う目撃談が、ネットに投稿されたのです。それからたちまち、現代妖怪の地位を確立した「くねくね」。出現するのは夏が多く、場所は水田や河原などの水辺に集中しているそうです。基本的にはヒトの形をしており、目撃者の中には「白い服を着た人が踊っている」と思った者もいましたが、その動きはとにかく普通ではないのです。しかも都市伝説では、じっと見つめていると正気を失ってしまうなんて怖いお話にまで発展しています。

 

その正体には、様々な説があります。真夏の出現が多いことから、蜃気楼や熱中症ではないかとか、自分の分身「ドッペルゲンガー」だと言う人もいます。あるいは、民族的な土着信仰の神さま説。諸説語られていても、正体は今だに不明のまま、その不思議な姿が語り継がれていく現代の妖怪なのです。

 

一方の「テケテケ」には、それが誕生した事件が語られています。北海道(または東北地方)の真冬のある日、ひとりの女性が電車に轢かれてしまいます。彼女はなんと、体の上と下が別れてしまいますが、すぐには亡くならず両肘をついて動いたと言うのです。この肘がアスファルトを叩く音から、「テケテケ」という名前になったそうです。つまりテケテケは上半身だけの妖怪で、とくに小学生の間で広く語り継がれ、やがて居場所が学校の理科室になりました。そして大きなハサミを持ち、口は耳元まで裂け、物凄いスピードで空間を飛ぶという恐ろしい妖怪へと進化していくのです。学校の幽霊なので校舎の外には出られないとか、一度スピードに乗ると曲がれないとか。テケテケに遭遇したときの対処法も生まれております。ただし、現在も進化中の妖怪なので安心はできないようですよ。

 

現代の民間伝承である都市伝説から生まれた妖怪たち。いにしえの時代のそれが今に残るように、未来の日本人に「くねくね」や「テケテケ」のお話を語り継ぎたいですね。

2012年10月23日火曜日

世界のヘビ神話


ヘビが苦手な方でも、ほんの少し、その「嫌い度」が低くなるかもしれない() そんな神秘的なお話を、今回は紹介します。キリスト教では悪魔とされるヘビでも、世界的にはその存在を聖なるモノとする神話が数多くあるのです。

 

まず古代エジプトの神話では、世界の初めにあった沼に4組のヘビとカエルの夫婦が住んでいて、彼らが太陽神ラーを生み出したとされます。不老不死のヘビ「アナンタ」が登場するのはインドの神話で、それは1000の頭を持ち無限を意味するそうです。古代マヤ文明の神話が語るのは、世界を創造した海ヘビの神グクマッツで、ケルト神話では、柳の木の下にあった紅色のヘビの卵から世界が誕生したと語られます。つまりこれらの神話の中で、ヘビは世界の創造に関わる大きな存在なのです。

 

また、脱皮を繰り返し成長するヘビは、古代の人々には永遠の象徴だったようです。老いて亡くなる事はなく生まれ変わる、あるいは別の命として再生すると信じられていたのです。ギリシャ神話に登場する医学の神アスクレピオスが持つ杖は、一匹のヘビが巻き付くデザインになっているそうですよ。また、細く長い姿から川を連想したのが古代の日本人で、ヤマタノオロチは氾濫する大河の象徴であり、日本の民俗学においてヘビは「水の神」なのです。

 

いにしえの時代、世界各地で誕生したヘビ神話。洋の東西や民族の違いはあれど、ヘビの姿や存在に深い神秘を感じたのは同じだったのでしょう。現在を語れば、見えない驚異ウィルスと戦う世界保健機関のマークに、アスクレピオスの杖が使われております。