2014年3月23日日曜日

超人・聖徳太子伝説


日本の律令国家の確立に尽力し、仏教興隆に貢献したとされる聖徳太子。しかし現在は、この名前の人物が実際に存在していたのかを疑う歴史家も少なくありません。今回語るのはそうしたお話ではなく、伝説として後世に語り継がれてきた、聖徳太子の超常的な影響力です。

 
伝説が形成され始めたのは、7世紀後半ごろから。そして、奈良時代初期の西暦720年に成立した「日本書紀」に、聖人として登場するのが最も古い記述です。そのころから伝説化が加速し、日本の仏教の創設者としての「太子信仰」が生まれ、同時に超人性が語られるようになりました。

聖徳太子の超人的な伝説の中でも、とくに興味深いのが「転生伝説」と「予言者伝説」です。まず前者は、太子が政治家や宗教家、学者などに転生したと語られる伝説。平安京を造営した桓武天皇(かんむてんのう)、平安朝の最盛期を築いた藤原道長、真言宗の開祖・空海などが聖徳太子の生まれ変わりとされました。

 
聖徳太子の超人伝説で、後世に最も影響したのが「予言者伝説」です。その発端は、「日本書紀」に記された一文「兼ねて未然に知ろ示す」で、中世期にはその予言書というべき「未来記」が多数登場します。それによれば、太子は未来の予言を石に記して地中に埋めたとされ、とくによく知られる伝説が、鎌倉幕府の滅亡に関する予言です。

「人王(じんおう)95代にあたり、天下ひとたび荒れる。日、西天に没すること370日余り、西鳥(せいちょう)来たりて東魚(とうぎょ)を食す」。

95代人王とは後醍醐天皇のことで、彼はまさに、天皇政権樹立を目指し挙兵します。西天に没するとは彼の隠岐の島流しで、370日余り、つまり約1年後には、西の勢力・新田義貞の「西鳥」が鎌倉幕府「東魚」を倒しました。この鎌倉幕府の事実上の崩壊が、西暦1333年5月。それより600年以上も昔の予言が、見事に的中したことになります。

 
こうした聖徳太子の超人伝説は、キリストのそれに重なる部分が多いと指摘する専門家もいます。「日本書紀」が編纂されたころ、中国を経由して景教とよばれたネストリウス派キリスト教の文献が日本に伝わっており、宗教的に肩を並べたいと願う当時の日本人の思惑が、聖徳太子伝説を生み出したという説もあるのです。

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